東京地方裁判所 昭和32年(ワ)6788号 判決 1959年10月09日
原告 上原寿子
右法定代理人親権者 上原康夫
同母 上原照子
右訴訟代理人弁護士 赤木暁
被告 株式会社広瀬商会製作所
右代表者 広瀬銈三
右訴訟代理人弁護士 辻誠
同 服部勝次郎
同 山田治男
主文
被告は原告に対し金三〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三一年一〇月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
この判決中第一項に限り仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一、昭和三一年一〇月二九日午後一時五〇分頃、東京都大田区久ヶ原町八〇番地先京浜第二国道において、同所横断歩道内を西方から東方へ横断しようとしていた原告が、地方五反田方面から南方横浜方面へ向け進行して来た訴外大西福昭の運転する小型乗用自動車にそのさしていた雨傘が接触して、道路中央線上に転倒し負傷したことは当事者間に争いがない。
二、原本の存在及び成立につき争いのない甲第一号証、乙第一号証、証人神宮司昭三、同江口久美子(後掲措信しない部分を除く)及び同大西福昭の各尋問の結果を綜合すると、当時原告はその学友の江口久美子とともに、同人の家に遊びに行くため右国道を横切ろうとして、横断歩道内を道路中央まで進み、左側五反方面から進行し来る自動車の通過を待つため、他の成人二名とともに中央線上に原告を右端として一列に並んで停止していたところ、大西は右自動車を運転し右国道を五反田方面から横浜方面に向い左側道路中巾員三メートルの高速車道内を、その左側低速車道との区分線に車体左側がかかる位の位置で、即ち道路の中心線から車体の右側まで一メートル足らずの間隔を置き、且つその前方を同一方向へ進行する自動車と約一〇メートルの間隔を置いて、時速約四〇キロメートルで進行し、前記横断歩道内中心線附近に数名の歩行者が立止つているのを約二〇メートル手前で認めたが、先行の自動車が歩行者の前を通過し、且つ大西運転の自動車の直後に続く自動車はなかつたので、同人は右歩行者が立止つたまま同人の自動車の通過を待つていてくれるものと思い、その前方を通過すべくそのままの速度で直進したところ、約四メートル手前に至つたとき、右歩行者の内横浜寄りの最右端に立つていた原告がさしていた雨傘を斜めにさしかけるような姿勢で、二、三歩歩き出したので、大西は急ブレーキをかけるとともにハンドルを左に切つたが間に合わず、原告の傘が自動車の右前ドアーに接触し、その衝撃で原告は中央線上に頭を五反田方面に向けて転倒失心し、附近に居合わせた神宮司昭三の手によつて直ちに松井病院に入院させられたことが認められる。証人江口久美子の証言中右認定に反する部分は措信し得ず、他にこれを覆えすに足る証拠はない。
道路交通取締法施行令第二九条に、自動車は横断歩道を通行するときは警音器掛声その他の合図をして徐行しなければならない旨定められ、東京都道路交通取締規則第五条によつて、東京都において徐行しなければならない場所では時速二〇キロメートル以下の速度で進行しなければならないとされていて、その趣旨は歩行者が道路を横切る場合には横断歩道によるべきことを義務ずける反面、横断歩道においては自動車が歩行者の横断を妨げることなく、現に横断しようとしている歩行者がある場合にはこれに危害を及ぼさないようその挙動に応じていつでも適宜の措置をとることができるように減速し、自動車の進路直前に歩行者があるときはその横断を待つて進行すべきことを要求したものと解されるところ、大西が前認定のように時速四〇キロメートルをもつて、しかも歩行者を道路中央に認めながら、自動車の通過を待つていてくれるものと軽信して何らの警戒措置をとらず、漫然至近距離を通過しようとしたことは、ことに歩行者中には原告の如く幼少の児童も居たことではあり、自動車運転者としてなすべき右の注意義務を怠つたものというべきであり、前認定のような事故の状況に照らし、原告の挙動にも軽卒な点があつたにせよ、もし大西運転の自動車が時速二〇キロメートル以下に減速していたならば、先行車の通過直後を横断しようとする歩行者があつた場合にはその横断し終るのを待つよう停止する等の措置に出ることも不可能ではなく、又前認定のような原告の挙動に対しても臨機の処置に出て接触を避けることは十分期待できたところと認められるから、右義務違反と事故発生との間には因果関係があるものと認められ、本件事故発生につき大西福昭に過失があつたものというべきである。
三、当時大西福昭が被告の被用者で被告の業務の遂行として自動車を運転していたことは当事者間に争いがないので、被告はその使用者として、同人が被告の事業の執行につき原告に与えた右事故による損害を賠償すべき義務がある。
四、ところで前述のような事故の状況からみて、本件事故は原告が大西運転の自動車の進行に注意を払わず、それに先行する自動車の通過した後を横断しようと中央線から二、三歩前方へ歩き出した行動がその一因をなしているものと認められ、被告はこの点につき過失相殺を主張するけれども、原本の存在成立につき争いのない甲第二号証によれば、原告は昭和二三年一一月九日生れ、事故当時満七才一一ヵ月小学校二年生の児童に過ぎなかつたことが認められ、右の年令では社会通念上行為の責任を弁識するに足るべき程度の知能を有するものとは認められない。もつとも過失相殺の場合の被害者の過失の前提として弁識能力とは、行為の結果として法律上の責任を負うべきことを認識し得る能力であることは必要でなく、行為の事実上の結果を認識し損害の発生を避けるために必要な注意をする能力であればよいと解することも相当の理由があるものと考えるが、このような見解に立つても、右の年令では、自動車の通行する道路を横断することは危険であるから十分の注意を要するものであることを理解し得るといい得ても、具体的にいかなる行為がいかなる結果をもたらすかを認識し、道路の交通の状況に応じて適切の行為に出ることを瞬時に判断し行動する能力を十分に有するものと期待することは困難なものと認められるので、かかる弁識能力を欠くものというほかはない。
従つて事故発生につき原告の過失を論ずる余地はなく、この点の被告の主張は採用できない。
五、京浜第二国道が自動車の往来の烈しい道路であることは公知の事実であるが、原告の注意能力が右の程度のものである以上その親権者らは原告の監護義務者として、右国道を横断する際は原告と同行して誘導し、やむを得ず原告単独で横断させなければならない場合には横断につき自動車を警戒する方法を懇切に指示する等の方法により事故発生を防止すべき注意義務があるものと解され、原告親権者上原康夫の尋問の結果によれば、原告親権者らは本件事故以前には原告単独で国道を横断させるようなことはなく、横断の際は常に原告の手を引いて渡らせる等の注意をしていたが、そのようなわけで単独で横断する場合について特に注意を与えたことはなかつたこと、本件事故当日原告が出かける際に、母上原照子は、江口久美子が一緒であり同人は京浜第二国道を横断することに馴れているので、同人によく導いて貰つて横断するようにと原告に注意を与えたのみで江口と二人で外出させたことが認められ、横断に幾分馴れているとはいえ原告と同年輩で事理を弁識する能力にもそれほどの差があるとは思われない江口が同行するということのみで安心して、この日に限り母自身同行しなかつたことにおいて、監護義務を怠つた幾分の過失があるということができる。
しかしながら本件の如く無能力者たる被害者自身が損害賠償を請求する場合に、当然その監督義務者が民法第七二二条第二項にいう「被害者」に含まれるものと解することは困難であるから、この点の被告の過失相殺の主張も採ることはできない。
もつとも、右監督義務者の過失は後述の諸般の事情を考慮して慰藉料の額を定めるにつきその事情の一つとして斟酌することはできるものと考える。
六、そこで原告請求の慰藉料の額について考えるに、まず以上に認定したような本件事故発生についての大西福昭の過失の程度、原告親権者らの過失、自動車と接触転倒した際原告が失心していることなどの事実が斟酌さるべきである。次に原本の存在成立につき争いのない甲第四号証、原告親権者上原康夫の尋問の結果から原告の顔面の創傷を撮影した写真と認められる甲第五号証及び右親権者尋問の結果により、原告は本件事故により前頭部挫傷、脳震盪症、顔面切創、口唇部挫創、右大腿膝関節挫創の傷害を受け松井病院に九日間入院し、父康夫からその入院治療費として金一六、〇〇〇円余を同病院に支払つたほかそれに伴う諸経費として金約四〇、〇〇〇円を支出し後に自動車損害賠償保険金四六、一七五円を受領していること、右創傷の内顔面切創は左頬上部に上下に長さ約七センチメートルの瘢痕を残し、成長につれて更に傷口が開くので、成長後二〇才位になつてから整形手術をして傷痕を多少小さくすることはできるが、医療的手段では傷痕を消滅させることは不可能であるので容貌を著しく損うものというべきであり女性の身として甚だしい苦痛であることが認められる。
右親権者尋問の結果によれば、原告の家族は原告の父母と一人の兄とであるが、父康夫は東京大学卒業の理学博士で東芝の研究所に勤務し年額二一〇万円位の給与を得て居り、母照子も著名な学者の血統を引いていて、原告は相当の家庭に育まれて居り、学校での成績もほとんどクラスで一番を保つている事実が認められ、一方証人宇都勝美の証言によれば、被告は資本金九、〇〇〇、〇〇〇円、従業員約一五〇人を擁し、月額一〇、〇〇〇、〇〇〇円乃至一五、〇〇〇、〇〇〇円位の売り上げを得ていて普通の程度の営業成績を上げている会社であることが認められる。更に右宇都勝美及び証人大西福昭の各証言によれば、大西福昭は原告の入院中四、五回と退院後自宅へ一回見舞に行つたほか、事故直後被告会社総務部長宇都勝美が入院先の松井病院へ原告の様子を見に行き、その二、三日後被告の女子従業員二名が絵本果物等を持つて見舞に行つたが原告の母照子から見舞品の受領を拒まれ、退院後被告の社長と宇都勝美が原告宅に赴き父康夫に会つて謝罪の意を表し金銭的賠償を申し出たところ、その数日後康夫から電話で金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払の要求を受け多額のためその要求に応じられなかつた経過があつて、被告側としても原告の慰藉のため一応の礼儀を尽していることが認められる。他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。
そこで以上のような諸事実を斟酌して、被告が原告に支払うべき慰藉料の額は金三〇〇、〇〇〇円を相当と認める。
七、よつて原告の請求中金三〇〇、〇〇〇円及びこれに対する本件不法行為の翌日である昭和三一年一〇月三〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分はこれを認容し、その余は失当に帰するので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 西川美数 裁判官 佐藤恒雄 野田宏)